この記事を書いた人
行政書士兼ウェブマーケター。ナガシマガジン運営者。サラリーマンとして働きながらウェブマーケティング会社を起業し独立。更にその後、仕事をしながら5カ月の勉強期間で行政書士試験に一発合格し、行政書士事務所を開業。
今回、残念ながら行政書士試験に落ちてしまったあなた。
試験に落ちて本当に悔しいし残念だと思います。
もしかしたら、今は何もやる気が起きなかったり、何も手につかない状態になっているかも知れません。
この行き場のない悔しい気持ちをどうすれば良いのか分からないと思っていることでしょう。
この記事では、そんな行き場のない悔しさを抱えているあなたに考えてみてもらいたいことや、今後どうしていくべきかなどについて書きました。
行政書士試験に落ちて落ち込んでいる人に読んでもらいたい私からあなたへのメッセージです。
変えられないモノではなく変えられるモノに目を向ける
行政書士試験に落ちて落ち込んだ時にすべきことは、変えられないモノではなく変えられるモノに目を向けるということです。
行政書士試験に落ちてしまって落ち込んでいる人のほとんどは変えられない事実ばかりに目を向けています。
どういうことかというと、行政書士試験に落ちたという結果だけにこだわり過ぎているのです。
例えば、大切にしているスマホを落として画面が割ってしまって、その画面が割れたことをずっと悔やんでいる状態です。
でも、割れた画面はどれだけ悔やんでも元通りになるわけではないのと同じで、行政書士試験に落ちてしまったという事実をどれだけ悔やんでも結果は変わらないのです。
どれだけ悔やんでも結果が変わらないのであれば、変えられるモノに意識を集中した方が良いと思いませんか?
では、行政書士試験に落ちたという事実において変えられるモノな何なのか?
それは、行政書士試験の不合格があなたの人生にもたらす意味です。
つまり、行政書士試験に落ちたという事実があなたの人生において、どのような意味をもたらすのかを考えてもらいたいのです。
世の中の全ての出来事に意味なんてないのかもしれない・・・
これはあくまでも私の考えなのですが、世の中で起こる全ての出来事には基本的に意味はないと思っています。
少し哲学的な話になってしまうのですが、ある出来事について「良い・悪い」というなどの性質はなくて、その事実に対してそれぞれの人が良い出来事、悪い出来事と判断しているに過ぎないと思うのです。
例えば、行政書士試験に落ちたという出来事について考えてみることにします。
行政書士試験に落ちたという出来事は事実ですが、その試験に落ちたという事実に良いも悪いもないということです。
え?どういううこと?
何言ってるんだコイツは!
行政書士試験に落ちることは悪いことに決まってるだろ!
って思っているでしょうが、もう少しだけお付き合いください。
例えば、今回、行政書士試験に落ちたことで、自分に合った別の道を見つけて、その後に大成功したとしたら、行政書士試験に落ちたことは良いことですか?それとも悪いことですか?
例えば、行政書士試験に合格してしまったが為に何となく独立開業した結果、廃業して路頭に迷うことになってしまったとしたら、行政書士試験に合格したことは良いことですか?悪いことですか?
前者では不合格したことが良い出来事としての要因となっているのに対して、後者は合格したことが悪い出来事としての要因なっています。
つまり、行政書士試験の結果というのは合格・不合格のどちらにおいても良い出来事・悪い出来事のどちらにでもなりえるのです。
意味づけで人生は真逆に変わる
こんな実話があります。
ある罪を犯した犯罪者の男性にはAとBという双子の子供がいました。
Aは誰もが羨むような大富豪で幸せな家庭を築きましたが、Bは仕事もなく父親と同じように罪を犯して犯罪者になってしまいました。
そして、ある日、同じ家、同じ環境で育ったAとBなのに、全く真逆の人生を送っている2人に興味を持ったインタビュアーがAとBに「なぜ今のような人生を送ることになったのか?」と尋ねたところ、真逆に人生を送っている2人は全く同じ理由を答えたそうです。
その答えというのは・・・・
- あんな父親の子供として生まれたから。(父親のようにならないように頑張った。)
- あんな父親の子供として生まれたから。(自分も父親のようになってしまった。)
つまり、父親が犯罪者という同じ出来事に対して、AとBは意味づけが違った結果、全く真逆の人生を送ることになったのです。
これは、行政書士試験の結果についても同じようなことが言えると思いませんか?
ある人は行政書士試験に落ちたことが人生にプラスの影響を与え、ある人は行政書士試験に落ちたことを悲観的に考える人生にマイナスの影響を与えてしまう。
どちらを選ぶかは自由ですが、どちらを選んだ方がより良い人生を送れるかは明らかですよね?
出来事自体に意味はなくあなたが意味づけをしているだけ
僕の好きなエヴァンゲリオンというアニメの最終話でこんなセリフが出てきます。
ミサト「晴れの日は気分良く」
レイ「雨の日は、憂鬱」
アスカ「と、教えられたら、そう思い込んでしまう」
リツコ「雨の日だって、楽しい事はあるのに」
冬月「受け取り方ひとつで、まるで別物になってしまう脆弱なものだ。
人の中の"真実"とはな」加持「人間の真実なんてその程度のものさ。
だからこそ、より深い真実を知りたくなるんだね」出典:エヴァンゲリオン「最終話」
あなたも、晴れの日は気分が良くて、雨の日は気分が憂鬱になると決めつけていませんか?
それって、真実ですか?
雨の日が好きだという人も世の中にはたくさんいるわけで、“雨=ネガティブな事”では決してありません。
その他にも“身体的な痛み=嫌なこと”というのは真実だと思っていませんか?
数はかなり少ないですが、世の中には数万円もの大金を出して痛いを感じる為にSMクラブにいったりする人もいるわけです。
つまり、その人にとっては“身体的痛み=快楽”と捉えているわけですね。
ということは、世の中で起こる出来事自体にポジティブやネガティブな意味があるわけではなく、あくまでもその人がそう捉えているだけの問題なのです。
その事実の捉え方を変えるだけで、その出来事はポジティブな出来事にもネガティブな出来事にもなります。
つまり、行政書士試験に落ちたという出来事をポジティブに捉えることで、落ち込んだ気持ちから抜け出すきっかけにするのです。
行政書士試験に落ちたという現実の意味づけを変える
では、行政書士試験に落ちたという現実に対してどのような意味づけをしたらいいのか?
個人的には「本当に行政書士の資格を取る必要があるのかどうかを考えるいい機会だ!」と捉えたらいいのではないかと思います。
というのも、行政書士試験を受験している人の多くの人は、行政書士の資格を取得する意味があまりないように思うからです。
あなたが行政書士試験を受ける理由は何ですか?
何かの目標を達成する為に行政書士試験を受けるのであれば、本当に行政書士試験でなければいけませんか?
たとえば、以下のような理由で行政書士試験の取得を考えていないですか?
- 就職・転職に有利だから
- 副業として稼げるから
- スキルアップしたいから
上記のようなイメージは行政書士という資格に対する間違ったイメージです。
上記のような目的で行政書士を目指すのであれば、行政書士を目指すよりももっと簡単な別の方法で目標を達成できる道があると思います。
そういう意味では、行政書士試験に落ちたことで、目標をより簡単に達成できる別の道を見つけることが出来るきっかけになったのではないでしょうか。
逆に、「自分には行政書士しかない!」「行政書士が自分の目標を達成する最も近道だ!」と思ったのであれば、今まで以上に強い意志を持ってもう1年間は行政書士の勉強に取り組めるのではないでしょうか?
そして、独立開業後も迷いなく行政書士の仕事に取り組めるのではないでしょうか?
まとめ
行政書士試験というのは、あくまでも人生における選択肢の1つに過ぎません。
行政書士に落ちたからといって人生が終わるわけでもなければ、合格したからと言ってその後の人生で成功するわけではありません。
今回、行政書士試験に落ちてしまったことは残念なことですが、この落ちたことがきっかけで人生が好転するような意味づけを考えてみてください。
そうすることで、数年~数十年先に『あの時、行政書士試験に落ちてよかったな~』て思えるがくるのではないでしょうか。
この記事を読んで少しでもあなたの気持ちが楽になって貰えれたなら幸いです。
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長島 雄太
NAGASHIMA行政書士事務所